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23件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2021-06-16 第204回国会 参議院 本会議 第32号

今回の新型コロナウイルス感染症の中、不安が絶えない大学生方々に向けて、国会議員の一人として、思うような大学生活を送ることができない学生皆さんに心からおわびを申し上げるとともに、このような状況下で、学生皆さん戦没者遺児である自分の体験に触れることで、当たり前と思われる平和な社会の尊さを考え、家族を始め周囲の方々との出会いに感謝し、与えられた時間を大切に、何事にも前向きに挑んでほしいと謙虚に伝えておられた

高橋克法

1998-03-13 第142回国会 衆議院 厚生委員会 第4号

私がこの委員会の中でのこの問題に関する質疑を聞いております限りにおいては、国立の施設としてどういうものを建てるのかというときの最後の枠は、この厚生省がお書きになっておられるとおりに、「戦没者遺児をはじめとする戦没者遺族の経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦に係る歴史的資料情報収集し、後世代にその労苦を知る機会を提供しようとするもの」であるというふうにお書きになっているのですね。

山本孝史

1996-03-25 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第6号

一九七九年十二月に、日本遺族会から戦没者遺児に対する個別給付にかわる戦没者遺児記念館仮称建設要望が出ます。一九八四年十月に、やはり日本遺族会厚生省からの調査費補助を受けまして、基本構想案をまとめます。その後、一九八七年十二月、戦没者遺児記念館に関する懇談会座長向坊隆、これは厚生大臣私的諮問機関、俗に言う向坊委員会、こう申しますが、懇談会ができまして、そして中間報告を出します。

土肥隆一

1995-10-31 第134回国会 参議院 厚生委員会 第1号

今回の見直しは、平成四年八月、歴史学者も参画された戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会八木哲夫座長でございますが、において取りまとめられました基本構想に沿って、その具体化を図る過程において関係各方面からの御要望や御意見を踏まえ、施設性格については基本的に変更することはなく基本構想の一部見直しが行われたものでございます。  

佐々木典夫

1995-05-19 第132回国会 参議院 予算委員会 第20号

戦没者追悼平和祈念館経緯につきましては、ただいま通産大臣から御答弁のあったとおり、厚生省戦没者遺族援護施策一環として、主に戦没者遺児を初めとする戦没者遺族の経験された戦中戦後の国民生活上の御労苦にかかわる歴史的資料情報をあるがままに収集、保存、提供し、後世に伝えようとするものでございますが、現在、その建物デザインやあるいは展示事業内容等につきましていろいろな御意見が寄せられておりますため

井出正一

1995-05-19 第132回国会 参議院 予算委員会 第20号

そして、もともとこの計画戦没者遺児記念館仮称)ということでスタートしたものであります。そして、私はこの当初の構想にかかわってまいりました。たしか昭和五十年代の初めからであったと思いますが、戦没者遺族遺児方々の中から、自分たち父親の死がむだ死にではなかったということの国としてのあかしが欲しいという声が全国的に起きてきた時期がございます。

橋本龍太郎

1995-02-21 第132回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

佐野(利)政府委員 今先生からお話がございましたように、この建物につきましては、平成四年に戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会から提出されました基本構想計画を踏まえまして、平成五年度予算においてその建設が認められて、現在その建設準備を行っておりますが、その建設に当たりまして、デザイン等に対します地元の住民の反対あるいはその展示事業内容等に対するいろいろな御意見等がございまして、現在はまだ着工に

佐野利昭

1995-02-21 第132回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

そのようなところから考えますと、厚生省戦没者遺族援護施策一環として、例えば戦争に関する歴史的事実のうち、主に戦没者遺児を初めとする戦没者遺族の経験した戦中、戦後の国民生活上の労苦といったものにかかわる資料情報中心として、それをあるがままに収集、保存し、そして一般に提供する、そして後世の方々戦中、戦後の国民生活上の労苦を知る機会を提供しよう、そういうようなものに位置づけたらどうかなというのが

佐野利昭

1994-06-21 第129回国会 参議院 予算委員会 第18号

政府委員土井豊君) まず、戦没者追悼平和祈念館仮称)の経緯でございますけれども、昭和五十四年に日本遺族会から厚生大臣に対しまして、戦没者遺児に対する個別給付にかわる戦没者遺児記念館、こういったものの建設要望が提出されました。  その後、昭和六十年七月に戦没者遺児記念館に関する懇談会設置をされまして、昭和六十二年十二月に中間報告をいただいた。

土井豊

1993-11-09 第128回国会 衆議院 厚生委員会 第2号

昭和五十四年十二月に財団法人日本遺族会から戦没者遺児記念館仮称建設要望が提出されました。厚生省は、これに調査費をつけまして検討委員会をつくります。そして、昭和五十九年十月に基本構想案なるものが提出されます。そして、昭和六十年七月に厚生大臣は、私的諮問機関である戦没者遺児記念館懇談会座長向坊隆さん、諮問機関を置きまして、六十二年十二月に中間報告を取りまとめます。  

土肥隆一

1988-05-12 第112回国会 参議院 内閣委員会 第8号

戦没者遺児記念館構想というんですか、何かそういう構想があるというふうに思うわけです。そういたしますと、この厚生省構想による事業といいますか記念館、そこでやる資料収集とか展示とかの事業と今度のこの法律によってやろうとする平和祈念事業、同じような性格のものが重複するような感じもあるわけでありますけれども、この点はどうされるおつもりなんでしょうか。まず厚生省の方から伺いたい。

野田哲

1988-05-12 第112回国会 参議院 内閣委員会 第8号

私どもの構想として持っております戦没者遺児記念館は、戦没者遺児に対する慰藉を主たる目的としているものでございます。一方、平和祈念事業特別基金は主としてシベリア抑留者恩給欠格者在外財産喪失者に対する慰藉に重点を置いているものと理解しておりますので、目的が異なるものと基本的に考えております。

新飯田昇

1988-04-28 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

田口委員 次に、これはちょっと本法案から直接には離れますけれども、厚生大臣私的諮問機関であります戦没者遺児記念館に関する懇談会中間報告というものが六十二年の十二月に出されているわけですね。これは戦没者遺児を初めとする国民労苦の風化を防ぎ、戦争歴史を客観的、具体的に後世代に伝え、平和を祈念することを目的とする戦没者遺児記念館設置が提言をされておるわけです。  

田口健二

1986-04-10 第104回国会 衆議院 社会労働委員会 第11号

次に、戦没者遺児のための記念館について質問をさせていただきたいのでございます。  私もおやじを戦争で亡くした一人でございますので、この遺児記念館をぜひ建てて、しかもこの建物が今後世界平和のために貢献できるような建物であっていただきたい、今一日千秋の思いでおるわけでございますけれども、遺児記念館構想について大臣にお伺いしたいと思うわけでございます。  

森本晃司

1985-04-16 第102回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

○熊代説明員 戦没者遺児記念館構想に関する御質問でございますけれども、昭和五十四年ころから、今次大戦で父親を失いました遺児の間で、父親を亡くしまして大変に困難な状況に置かれた、しかも昭和二十一年から二十八年までは遺族扶助料、つまり軍人恩給がストップされたということでございまして、非常に教育が必要な時期に十分な教育も受けられなかったりして、特に戦争によって厳しい被害をこうむっているのではないか、そういうことで

熊代昭彦

1984-08-07 第101回国会 参議院 社会労働委員会 第21号

雇用の場における真の男女平等の実現に関する  請願(第九七〇七号外六六件) ○男女雇用機会均等法案反対に関する請願(第九  八四一号) ○障害者に係る国民年金法等改正促進に関する  請願(第一〇二〇八号) ○実効ある男女雇用機会均等法の制定に関する請  願(第一〇二〇九号) ○使用済み乾電池処理等に関する請願(第一〇  二一〇号) ○食品添加物の規制に関する請願(第一〇二一一  号) ○戦没者遺児

会議録情報

1984-08-07 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第32号

河野洋平紹介)(第九一三二号)  五二九八 労災年金厚生年金等完全併給に関する請願河野洋平紹介)(第九一三三号)  五二九九 国公立病院における脊髄損傷者治療に関する請願河野洋平紹介)(第九二二四号)  五三〇〇 労災被災者脊髄神経治療に関する請願河野洋平紹介)(第九一三五号)  五三〇一 脊髄損傷治療技術研究開発に関する請願河野洋平紹介)(第九一三六号)  五三〇二 戦没者遺児

会議録情報

1984-08-01 第101回国会 衆議院 社会労働委員会 第30号

第九一三一号)  重度障害者終身保養所設置に関する請願河野洋平紹介)(第九一三二号)  労災年金厚生年金等完全併給に関する請願河野洋平紹介)(第九一三三号)  国公立病院における脊髄損傷者治療に関する請願河野洋平紹介)(第九一三四号)  労災被災者脊髄神経治療に関する請願河野洋平紹介)(第九一三五号)  脊髄損傷治療技術研究開発に関する請願河野洋平紹介)(第九一三六号)  戦没者遺児

会議録情報

1981-04-09 第94回国会 衆議院 社会労働委員会 第7号

実は私も戦没者遺児でございまして、父親の顔を知らずに今日まで育っております。当時の戦没者遺族方々の苦しみといいますか、そういったものは、私は十分はだで感じて今日まで生活をしてきた一人でございます。大変私事にわたって恐縮でございますが、そういった中でこの援護法が果たした役割りというものは実に大きかった、私はかように高く評価をいたしているわけでございます。

古賀誠

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